2010年09月18日

映画インセプションを観た

金曜日、六本木ヒルズの映画館でインセプションを観た。

言ってみれば、これは魚の「活け造り」のような映画だ。
ピクピクしてるけど、そこが美味いねん(誰だよ)。

途中まで「けっこう、難解な映画なのか?」と思っていたが、観終わってみれば、そうでもない。
というか、途中で全てを把握するのを諦めた。
映画の前に、レストランでワイン飲んで、少しベロベロしておったしね、俺。
少しだけどね。

まぁ、全てのエピソードがストーリーに必要だと思うから、難しくなる。
というか、この映画、実はストーリーはどうでもいいのではないか? と思い始めたあたりから、面白くなった。

作中に登場するエピソードは多いし興味深い。
そして、そのエピソードが世界観にリアリティを与えている。
必然性も担保している。
夢の中で建造物を自在にコントロールするという発想、その映像化など、衝撃的だった。

ただ、長編小説だと思って観ると、おそらく疲れる。
観終わった後に「明日も仕事か、嫌だな」みたいな疲労感はある。
これは物語の全てを、貪欲に、ハングリーに、腑に落とそうとするからだ。
短編小説の映画化と思えば、文句なしの傑作だろう。
ロバート・シェクリィの短編SFに筋書きを期待するか? と言えば、そんなことはない。
設定と人間描写だけで、十分に楽しめたはずだ。

(シェクリィ、多分マイナーだから、日本人で近いとすれば、初期の筒井康隆さんの短編はわりと近いけど、まぁ違うかなぁ。星新一さんのショートショートはオチがあるから、ぜんぜん別物)

インセプションは、他人の夢の中に入り、アイディアを盗む。
アイディアを植え込む。
そのためにはターゲットに、夢の中でさらに夢をみさせる。

夢の階層が深まれば深まるほど、現実の1分が、夢では10時間になり、夢の中の夢では10日になり、10年になる。

設定ありきで進むSFなのだと割り切ると、ディテールだけ楽しむこともできる。

推理小説の禁じ手といえば「探偵自身が犯人であってはならない」「探偵は読者に提出しない手がかりで解決してはならない」といったノックスの十戒が有名だ。
まぁ、すでに陳腐化しているなども意見もあろうだろうが、言いたいことは「禁じ手」というキーワードだけなので、先に進む。

そして、SFにも禁じ手はある。

「夢落ち」である。

監督のクリストファー・ノーランは、この夢落ちをきっちりと作品に仕上げた。
やるではないか、という気分だった(どこまで上から目線だよオヤジ! という突っ込みはナシの方向で)。

夢の中の夢の中の夢の中、という設定。
この精神的なフラクタル構造を、パラレルワールドとして作り上げていく。

力技である。

建物とかぐるんぐるんする「可能性」も秘めながら、なんでもありである。

ミッション成功のために、主人公たちは「繊細な作戦」を立てる。
それは、人間の感情の隙間を縫うような、細かくも心理的な、繊細な作戦だ。
そして、成立させるために必要な舞台を力技で壮大に作り上げていく。

活け造りという料理には、繊細かつ大胆、という相反する要素が必要だ(実はよく知らないけどね、てへ)。

インセプションも活け造りのような出来だったよ。

と、ここまで書いて、活け造り食いたくなった。

さて、今日は、土曜の午後である。
これから、山下さんと三軒茶屋にメシ食いに行くことになっているが、偶然「刺身」がある店だったら、今日から俺は運命論者になる予定。


追伸 最後のトーテムのコマ。あれ、回り続けないで止まる、ような気がする、で終わらせたのは、洒落てない。やりたい気持ちは分かるけど、ああいう手法には、この監督、あまり向いてないと思うし、作品の完成度が高いんだから、結構著しいラスト、予定調和でいいと思うが、いかが?
posted by 手嶋 at 17:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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