2012年07月16日

山川三多著「ざまぁみろ」(敬文舎)

何度も読み返す本がある。

塩野七生「ローマ人の物語」
北方謙三「三国志」
筒井康隆「敵」

この3つは年に1-2回は読み返している。
まる2日、朝から晩までかけて「三国志」を通読することもあれば、「ローマ人の物語」のハンニバルのところだけを何度も読んだり。

そんな本たちに、もう一つ、加わった。

山川三多著「ざまぁみろ」(敬文舎)
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%96%E3%81%BE%E3%81%81%E3%81%BF%E3%82%8D-%E5%B1%B1%E5%B7%9D-%E4%B8%89%E5%A4%9A/dp/4906822908/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1342420551&sr=8-2

30分もあれば読み終えてしまう分量である。
ただ、この本はおそらく、読み続けると、自分と対話できるはず。
3年おきに読むと、まったく違うことが書いてると思うだろう。

先ほどあげた3つほどではないが、いくつか「読み返す本」というものがある。

私がドラッカー「マネジメント」を最初に読んだのは10年くらい前だと思う。
10年前、線を引き、コメントをつけながら読んでいた。
それを6年前の自分、つまり最初に読んでから4年が経過した自分が、コメントに対して、反論やら突っ込みを入れている。
そして、今の私がその「二人のやりとり」に対して「二人ともおかしい」とダメ出しをしている。

そんな普遍性と深さが、この詩集にはある。

posted by 手嶋 at 15:50| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 「ざまぁみろ」をお採り上げいただき、感謝にたえません。社長様は詩歌に詳しい方だと思いますから、釈迦に説法ですが、発話者がだれで、だれに向かって、何時発言したかは、そう単純な問題ではありません。
 本詩集におきましても題名と中身の乖離は、俳句における配合句、詩におけるニ物衝撃の限界線上にありますから、正確に「読んだ人が、昨日の自分に向かって叫ぶ言葉」と受けとめたのは、社長様が初めてです。本当にありがとうございます。これからも、繰り返して読める面白くて単純な詩を目指して精進します。
Posted by 山川三多 at 2012年07月28日 13:18
山川さま
著者の方からコメントいただき、感謝です。

私のblogはコメントをくださる方もほとんどいらっしゃらないので、恐ろしいことに、コメントをいただいてから2ヶ月も気づかずにいました。
大変失礼いたしました。

特に気になった詩について、書かせていただきます。


ドクダミ

性差というのは良く悪くもあると思っています。
たとえば、焦点。中期的なところは男性、近視的なところは女性が得意とします。
しかし、長期の向こう側はあるいは女性の方が鋭いのかなと思いました。「オヤジの最期」と「オフクロサンヨ」の交互に読むと、その思いはさらに深くなります。
たとえば、アプローチを受けたとき、男性は「長年の習慣」から抜けるのは難しいのかもしれません。
習慣によって女性を退け、その代わりに得たものが、リスクがないという薬であったとしても、あるいは自尊心であったとしても、デカノイルアセトアルデヒドやラウリルアルデヒドの苦々しい後味という洞察は余韻がありました。


ステテコノ教訓

準備と確認を習慣にすれば、おそらくなんでも成功するのだと思います。
実践できてないので、今、頑張ってるところです。
思うに、何が一番面倒かといえば、確認でしょう。
誰でも出来る、でもしっかり出来る人は少ない。
成功した企業はマニュアルがあるのが通例ですが、人生というと大げさですしズレますが、日常生活のチェックリストはありません。
仕事とプライベートというものを分けて考える人が多いのは、あるいは確認が嫌なのでしょうか。労を惜しまず引き受ける覚悟というのは、地味ですが勇気が要ることだと思います。ただ、バランスの難しさについて、回答はまだ持っていません。


神ノ概念

私も、もうちょっと成熟すれば、認知学的なアプローチから脱却できるとは思うのですが、ゲーデルやらハイゼンベルクを持ち出さなくても、完璧な人はいないと思っています。
そのため、得意な人に助けてもらう。
一人でできないことを仲間と行う。
あるいは先輩やらに支援してもらう。
古代ギリシャにしろ、ローマ帝国にしろ、偉大なる存在たちも大らかさがありましたが、いつからか悲壮感をともなった原理主義が支配的になりました。
私に正義の反対は別に正義と教えてくれた人は、久しぶりに会ったときに「みんなが地べたで汗泥になっているのに、空中戦をやっている連中もいる。同じなのに」と言っていました。
反論できない鎧を着て、過剰流動性という見えない武器を持って、無防備な素手の人を、その人が気づかないように殴る世界がカミ合う日にしないとなりません。


生ト死ト愛

人類の最初のビジネスが売春ときいて、最後の仕事はなんだろう? と考えたことがあります。
歴史家、あるいは王様? と居酒屋のカウンターで一人、候補をあげていたことがあります。
今日、詩人かもしれないと考えました。
生物が獲得した最初のモジュールが愛というのは新しい発見でした。


ノコギリ

豈という前衛俳句の集団があります。
倉阪鬼一郎という怪談作家がこんな俳句の挑戦をしていました。うろ覚えで仮名や漢字は適当ですが。
一昼夜煮て頃合ひの五寸釘
柳ふと人のかたちをして柳
ノコギリはつかず離れずなので、不気味な後味も乾いてて痺れました。
冷たい脳と言われるサイコパスの心理描写のようにも見えます。

Posted by 手嶋 at 2012年10月01日 09:39
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